増上寺の御用達業者の集まりで作られた団体で、その 歴史は古く、遠く江戸時代にさかのぼると言われて おります。 百味講という名前は「多種多様の人たちによって成り 立っている」という意味ですが、その出典は増上寺 前ご法主 故 藤堂恭俊台下によりますと「無量寿経」の 「百味飲食 自然盈満 身心柔軟 無所味著」からで、意 味は、現ご法主 成田有恒台下によりますと「お浄土で 暮らすと食べたいなと思っただけで百味の御馳走が 現れ、それを眺めているだけで満腹になる。」という ことだと教えていただきました。 私たちもこれに習って身心さわやかにくよくよせず 毎日をすごしたいと思います。 此処では その昔、百味講趣意書として講員に配った ものを載せておきます |
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百味講の始まりは遠く江戸時代迄さかのぼると 聞いて居ります。 講名にも示されている様に、仏思奉謝の志固い諸業者 によって構成され、東都随一、松柏しぼまぬ大本山 増上寺の股肱として富獄秀麗の裾野的存在を各自覚し 護法のあゆみを共に長い道程を経過して参りました。 芝の浦を吹きぬけ三門にそよぐ風のさざめき、其の昔 えがかれたと云う講の錦絵によっても由緒ある歴史を 語りかけてくれます。改めて百味講の専統を顧み、 いまさらに責の大なるを思いつつ、如来のみ光りに 由あみし幹益年輪を重ね、枯れる事無き講の充実を 計るや切なるものが有ります。 ここに貴殿の入講を歓迎し其の傘下のもと親和の 喜びをより深めると共になりわいの道にも何等かの 余慶、進展の度を加えたきもの広く吾講への参入を 望むものであります。 |
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更新履歴 | ||||||||
増上寺小冊子 | ||||||||